腹腔鏡下子宮全摘術 手術翌日3/5

余談はさみましたが続き

診察の時に、初めて術後のお腹の傷辺りを見れました。
おへその中は吸収されてしまう糸でバッテン×に縫ってあり、お腹に三つ並んだ左側と真ん中の傷には白くて透けてるテープが貼ってあり、聞くとこちらは縫っていないと

同じく右側の管が出ている傷は、当たり前だけど管が出ていてテープで固定して抜けないようにしているだけ。
簡単に引っこ抜けそうでゾワゾワ。お腹から出ている血液が混ざった尿のような色した液体が溜まった袋の重みとかで抜けたら…と思うと…ゾワゾワゾワ…
テープだけで傷が パカッ と開かないか聞いたけれど、大丈夫だそうです。
それ位小さい傷だって事なんですよね。
でも、咳したり、身をよじったりすると痛みはある。きっと中の方は切ったり縫ったり、大変な事になっているのでしょう。そんな事を感じさせない姿の傷達です。

トイレに行きたくなり、お腹から出ている管に繋がっている袋の紐を持ち、術後初めて行ってみる。
産後の初トイレは、仕方を忘れたかのように出ないし、切ったり縫ったりしたトコロが怖いしで気になりましたが、今回は、尿管をしていたせいか、最初に少し出にくいなぁ、と感じた位で、さほど違和感なく済ませられました。ただ、ふとお腹に力いれると痛いし、管と袋が邪魔

お昼になり、ベッド足元にあったテーブルを看護師さんがベッド真ん中辺りまでセットしてくれて、お膳を用意してくれました。全粥だけれども、やっと食べ物ダァ〜と喜んで食べる。リクライニングボタンで上体おこして、普通に。
絶食の後のお粥は美味しかったです。
生きてたぁ と思えました。
気持ちは全部食べたいのに、胃の圧迫感が酷く、すぐにお腹いっぱいになり半分残してしまい、片付けをどうしようかと思っていたところに、妹が登場!

大小一つずつのブリザードフラワーを持って見舞いに来てくれました。実は私の誕生日。

義理両親も同じタイミングで来てくれていて、待合で子どもと一緒に待っているから先に話したら?と呼びに行ってくれました。
代わって義理両親が病室へ見舞いに来てくれて、義理父は開口一番
「おめでとうございます」
と、ニコニコと言い放ちました。きっとこれを聞いた病室の人達は、それぞれのカーテンの中で
「⁈」
だったと思います。
私は自分の誕生日だしすぐに分かって、何とも思わなかったけれど、一緒にいた義理母も父を肘で突いたりして気を使っている様子。私は先まわりして
「大丈夫です!ある意味生まれ変わりました笑」と返した。本当にそう思っていたし。
ベッド傍らに病室のパイプ椅子をもってきてもらって座ってもらい、状況と体調を説明。
思ったより私が元気で、落ち込んだりしていなかったみたいで、ひとまず安心してくれた様子でした。
このダンナの両親、私は好きで、尊敬すらしています。実母を亡くした時は、義理母に随分慰めてもらいました。
ダンナとの結婚も、私が膠原病という難病持ちだったにもかかわらず、何の偏見も反対もなく認めてくれて。結婚して初めて実家に泊まった部屋の本棚に、膠原病の本を見つけた時は、知ろうとしてくれている事がうれしくもあり、申し訳なくも思い。
なかなか子供を授かれない事にも、出産にこぎつくまでの11年、一回も、一言も、子供に関する事を言われた事がありませんでした。
無事出産して見舞いに来た義理母は私と子どもを見るなり
「無理したんでしょうね…」
と涙ぐんで、喜んでくれて。この人たちの為にも産んで良かったと思って、産後は1週間でしたが、甘えてお世話になりに行きました。
あのダンナの両親とは思えない優しさと気遣いに、感謝しかありません。

義理両親が帰る時に、送りがてら待合まで歩く。子どもが病棟入り口でピョンピョン跳ねながら手を振って待っていました。両親とエレベーター前で別れた後、待合ソファで妹と子どもとそれぞれ報告会。

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